【毎月記考】好きなものが義務化されると嬉しくない

コラム

僕は大好きなテレビ番組がある
それは「デザインあ」というNHKの番組だ。
唯一毎週欠かさずに観ているテレビ番組で、それはそれは楽しみで仕方がない

しかしある日重大なことに気が付いた。
朝7時頃に「デザインあ5分版」としてやっているのを見つけてしまった!
興奮した僕はすぐさまテレビの番組表を確認すると、なんと平日は毎朝やっているではないか。

そこからその時間帯を毎日録画に設定をし、夜家につくとご飯を食べながらその日の朝にやっていた「デザインあ」を流す生活が始まった。

週に一回の楽しみだったものが、毎日観れるようになった。僕は飛び跳ねるように喜び、とても充実感に満ち溢れていた。

 

好きが日常化すると…

たまに帰りが遅くなったり、泊まりの仕事があると観れない日が出てきて、次第に録画が溜まるようになっていった。
すると僕は段々とみるのをやめてしまった。
あんなにも心待ちにしていた番組が、いつでもみられる状況になった瞬間、突然興味のレベルが格段に下がってしまった。

リストに溜まっていく現状をみると、楽しみどころか、不思議と早く見なきゃという義務感に変わっていってしまったのだ
困った事に録画の容量も残りわずかで、見なきゃという気持ちに拍車をかける始末である。

自分の性質上、少しでも義務と感じるともう好きになることは難しい。
「毎日見なきゃ」、「見逃したら溜まっていっちゃう」と勝手に義務感を感じると、特別感がなくなり、たのしみを見いだせなくなってしまう。

僕は楽しみにしていたある種のご褒美的な時間が、いつしかこなすだけの作業になってしまったのです。

僕はこれを個人的義務感情となずけた

 

どんなものでも義務が付くといい気がしない

この現象は人であれば誰でも感じる事だと思う

大好きなお菓子を毎日食べるのが義務。
一日中ゲームをするのが義務。

なぜか義務が付いたとたんに楽しさが消える。

仕事もそうではないだろうか
毎日当たり前に出社し、与えられた仕事をこなす。

しかし、コロナでテレワークになるといつもとは違う日常になった。

当たり前のように通勤していたのが、ある日を境に自宅でテレワークになった。
僕もテレワークを経験した。
1ヶ月ぶりに出社すると普段気づけなかった事に気が付けた。
電車通勤って本当に面倒だなあとか、ずっと家にいると、太陽浴びたいなとか
一番は誰かと話がしたいなと感じるようになった。

久々に会社の人に顔を合わせるとなんだか嬉しくなった。

学校もそう
義務教育という言葉自体そもそもどうなんだろうか。

毎日勉強できる環境は本当だったら相当恵まれているはずだ。
毎日友達に会えるのはとてもかけがえない事だと思う。

教育を受けるというのは特別なことだが、義務教育をありがたいという意識で受けている小中高生はどのぐらいいるのだろうか。

しかしこれもコロナで意識が変わった人もいるかもしれない。
毎日学校に行けた、行事ができたというのは特別なんだと感じれたのかもしれない。
義務教育だから学校に行く。ではなく何かもっといい名前をつけれたとしたら、違う意識が芽生えるだろうか。

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